留学が教えてくれること

ローパンダの名前が「しの」に決まりました。


ローは日本語の名前を付けたかったらしく、いろいろ聞いてきました。
「パンダって日本語で何ていうの?」
「パンダ」
「じゃあダーリンは?」
「…ダーリン」
「日本語ってほんとにつまんないんだから!(日语真没有意思!)」
「すまんのう。まあ日本語っていうか、日本語の外来語っていうかね、そもそも…」
「(無視)じゃあ『私の』にする。わたし、わたしの…しのちゃん!(自己解決)」


そういえば、日本語をかじったことがある外国人は、日本語の「外来語(特に英語もの)」に
ついて色々話すのがとても好きだなあと思います。
まあその多くは、外来語や英語のカタカナ読みを嘲笑する内容なんだけど。
ロスト・イン・トランスレーション」にLとRの発音について話すシーンがあったもんで、
あれを引き合いに出す人にも何度か会ったなあ。


上海に来てからも、日本人の英語が下手な諸悪の根源はあの外来語のせいだとか、
ほんとに日本語の外来語は奇妙だとか、日本人ってなんでそんなに英語の発音悪いのとか、
いろいろ言われてきました。


ところがこないだ、
「日本語の外来語はいいと思うよ。英語を勉強する時に見当がつきやすくて便利だよ。
中国語だと無理矢理漢字を当てはめていることが多くて、英単語の見当がつかないもん」
と言う中国人がいて、ほーそんな見方もあるのかー、と感心しました。


この「他にまだこんな考えがあったのか」っていう気持ちを味わう時、とても嬉しくなります。
嬉しさは2種類。単純な驚きと、もう1つは自分の凝り固まった頭に気づけたことによるもの。


「こんなにたくさん調べて、こんなに考えたんだから、他の考え方はもうないはず」
世界はこんなに広いんだから、人間はこんなにたくさんいるんだから、絶対ってことはない。
それなのに私たちはいとも自然に、いとも簡単にこういう結論を出しがちなような気がします。
1つの組織内でずっと仕事をしていると特にそう。
これは別にクリエイティブな仕事に限ったことでなく。


さらにまずいのは、「きっと他の人もそうだ」と思ってしまうことだと思います。
「もっと他にも考え方があるんじゃないか?」
「他の人はこんなふうに考えるだろうか?ああじゃないだろうか?」
常に考えて考えて考えなければならない。私の仕事には特にこれが必要。
仕事に限らず、生活上で一番つまらなくて恐ろしいのは「想像力の欠如」。
いつもこれに行き当たるのだけれど、本当にそう思います。
今まで周りにいなかったような人たちが身近にいて、大事なことを再確認させてくれる。
これも留学のメリットですね。


あと、ちょっと思い出したのですが。
中国人は「語学の天才」と言われているだけあって、外国語が上手い人が多い。
元々中国語の発音が難しいから、英語や日本語の発音が比較的簡単なんだろうなー。
それもあって日本語のことを簡単だと思ったり、日本語の外来語や日本人の英語をイマイチだと
感じる人が多いのだろうけれど、深く勉強していくと日本語の難しさにはまる人もまた多い。


以前、「日本語は初め簡単だったけれど、段々難しくなってきた」と嘆く中国人学生に
「バドミントンとテニスの違いみたいだね!」と言って、ますます困惑させた経験があります。