英語で読む村上春樹


昨日の朝、実家からバスで出勤した折、車中で「英語で読む村上春樹」のテキストを眺めておりまして。正直、興奮しました。


このテキストは抜群に面白い。もはや英語で村上春樹を読まなくても面白い。あ、私が村上春樹好きだというのは引いて考えてくださいね(笑)そして、私は英語が得意ではありません。


えーっと、簡単に言うと、英語の"the"の説明でこんなにワクワクしたのは初めてだったんです。私、こういう”外国語”の面白さに出会ったのがとても遅く、31歳で行った上海留学で出会った中国語が初めて。(中国語、大学でちょっと勉強したけど、良く分からなくて落第生でした。)そんな私が英語のワクワクを感じるなんて。


そして、これまであまり良いイメージを持っていなかった翻訳についても、見方が変わりました。以下、テキストの前書きから抜粋します。

文学の翻訳という作業は、単純に100パーセントの正解を求めることがもともとできない、非常に微妙で複雑なプロセスです。一見したところシンプルで明快な村上春樹の文章も、いざ外国語に翻訳しようとすると、言語・文化・社会に密接に関連した複雑な陰影が浮かびあがってきて、そう簡単ではないことに気づかざるを得ません。それを英語に移したとき、ある部分が失われることは避けがたいのですが、同時に別の新たな意味を獲得することもあります。これは誤訳とか改変といった次元の問題ではなく、翻訳そのものがはらむ大きな可能性に他なりません。そして翻訳の結果、豊かになったテクストこそが、世界文学になっていくのです。

わおわおー!って思いますか?それとも、やだやだー!って思いますか?


これって、いわゆる「グローバル化」の話に近いと思うんですよね。
違うかなあ?


閑話休題。まあでも、語学の話に興味なくても、ハルキファンとしては、

象の消滅」は、そもそも「パン屋再襲撃」という短編集に収められた1編だったのに、これがアメリカで高い評価を受け、「象の消滅」という短編集ができて、その後、逆輸入的に「象の消滅」という短編集が日本で生まれる

っていう話も「へえー、へえー」って感じです。
すみません、有名な話なのかもですが。


でもまあ落ち着いて考えてみると、一番の収穫は、「象の消滅」という短編小説をじっくり"日本語で"読めたことかもしれません。私、小説を読む時は、早く先が知りたくて、ガツガツ読んでしまうので、こんなふうに一語一語を噛みしめるように読んだのは、正直初めてなのです。


文学部に行ったら、こんな感じで勉強するのかな♪(妄想)


付け足しになって申し訳ないですが。
このテキストを読んだ後に「こんな教科書が高校時代にあったら私はもっと英語の勉強をしただろうよ」と思ったのです。


でもその数秒後にまた思い直しました。「こういう形のテキストってきっとあったはずだよなあ。そして高校の頃、私はハルキすとじゃなかったよなあ」


人が言い訳をするのは、簡単なんですよね。また、思い知りました。


http://sp.nhk-book.co.jp/text/detail/index.php?webCode=09497042013